「ダメゴルゴ症候群」でも書きましたが、学生時代は自意識過剰がひどくて、生活に支障が出るレベルでした。トイレにもまともに行けない訳ですから(こう書くと、要介護の老人のみたいだけど)学生生活の至る所でいらぬ面倒を抱えておりました。そんな重度のこじらせ男子である僕は、もちろん学校行事を積極的に楽しんでリア充になれるはずもありません。どの行事も刺身のツマ程度に存在感を消して、早く時が過ぎるのを待ち望んでおりました。

もっともイケてなかった学校行事として、今でも記憶に残っているのが、高校の修学旅行です。旅行先は南東北でした。当時、私立高校では海外がメジャーになり始め、公立高校でも北海道や沖縄が人気スポットになっていたので、その地味なチョイスに不満を持つ同級生は多かったです。震災を経て、あまちゃんブームも起きた2014年の現時点では、興味深い旅行スポットの1つですけど。それはさておき、場所がどこであれ、いつもの校舎を離れて旅に出るのは、その非日常感だけでも多くの学生にとって楽しいものでしょう。更に旅先で親友と濃い話をして盛り上がったり、恋人と二人きりで名所巡りしようものなら、たとえ旅先が車で1時間程度の近場であっても、十分楽しくて、かけがえのない思い出となっていることでしょう。それにもかかわらず、当時の僕は一言で言うと、ずっと寝ておりました。移動時間はもちろんのこと、本来は友人と語らって盛り上がるはずのホテルの部屋でも、ほとんど誰とも会話することなく寝てました。クラスに親友と呼べる人間はおらず、部屋割りも適当に人数が足りないところに入れてもらっただけなので、同じ部屋のクラスメイトと語らいたいことなど何もありませんでした。で、移動の車中で寝て、ホテルでも早々に寝ているにもかかわらず、観光名所での自由時間ですらもバスの中で寝ているのだから、我が事ながら驚きます。バスガイドさんや運転手さんも、目的地着く度に皆と車から出ていったと思ったら、5分くらいで戻ってきて、自由時間いっぱい車中で寝てた僕を大層不憫に思ってたんじゃないでしょうかね。

と、昔の情けない話として書いてますけど、今も昔も集団生活が苦手だったり、自分の趣味や感性があまり大衆寄りではなかったりするのは変わらないんで、近年になっても似たようなエピソードがあったりします。数年前、3年ほど勤めた職場を退職する時の送別会では、主賓であるにもかかわらず、申し訳程度の挨拶をしただけで、2次会のカラオケでも1曲も歌わず、指名手配犯のように鳴りを潜めておりました。この職場では、高校の時と違って、親友と呼べる同僚ができ、彼らとは今でも付き合いがあるので、決して疎外感を覚える環境ではなかったんですけどね。やっぱり集団行動がダメみたいです。

ここまで読んで、こんなコミュ障の社会不適合者だと、異性にモテたり、恋人を作るのは難しいんじゃないかと思った人は多いと思います。僕も学生時代は「モテる為には社交的で友達の多い奴にならなきゃいけない」という思い込みがありました。だから、同級生と親交を深め、学校行事を積極的に楽しめない僕は、この先女の子にモテたり、好きな子と付き合ったりすることはできないのではないかという絶望を抱え、日々を過ごしておりました。当時は自分のプライドを保つ為、くだらない事で笑い合い、流行りモノに流されるだけの薄っぺらい同級生を小馬鹿にするようなところがありました。でも、その一方で、そんな薄っぺらい彼らが非常にコミュ力が高く、学校行事でも常に脚光を浴びているのを羨む気持ちを持っていました。彼らのようにモテたかったのです。

今となっては、モテる為には必ずしも社交的である必要はないのはわかっているので、学生時代にクラスの中心にいたような社交性の高いタイプに対して、羨望の気持ちもありません。逆にしょうもない自尊心を保持する為に彼らを軽んじる事もありません。恋愛において、彼らとはターゲットと戦略が違います。不特定多数の中でコミュニケーションを取るのが苦手な人間でも、自分と趣味や感性の近い人間にターゲットを絞って、マンツーマンや少人数でコミュニケーションを取れば、仲良くなれる可能性は非常に高いです。集団行動ができない人間なりの戦い方があるのです。そして、LINEやfacebookといったSNSが隆盛を極め、自分と近しい価値観やセンスを持つ人間と出会い、短期間で相手の懐に入る事が非常に容易になりました。今こそ僕のような、集団の中では全くサエないタイプの人間が本気でモテる為の一手を繰り出すべき時だと思います。じゃあ、具体的にどうすりゃいいんだって話ですが、それはこのブログで色々書いていきたいと思うので、是非読んでほしいです。


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